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生い立ちシリーズ①
2009年04月01日
私は転勤族の父と専業主婦の母の子として徳島県で生まれました。
徳島での生活はほとんど記憶に無いので説明できません。。。
今度、徳島に行って、記憶を戻そうとしてるところです。
なので、話が飛びますが・・・
私が、この「視える力」が前面にでてきたのは9才の時です。
私の家族は父、母、お兄ちゃんが2人、お姉ちゃん、妹2人の計8人家族。
この家族の中で、「視える力」を持つのは母とお姉ちゃんと私。
母とお姉ちゃんは「予知能力」がずば抜けていました。
でも、「視えるよ~」とか今まで言われたことがありません。
お互いにお互いの力を共有し合っていた感じというのでしょうか・・・
おかげで言葉で表現することが当時上手くなかった私は兄弟とのコミュニケーションは
「感覚」だったように思います。(この表現しか出てこない・・・)
兄弟みんな年が離れすぎていると理由もあったからかもしれませんが・・・
兄弟同士で悩み相談とかした覚えはありません。
時代が違う。というのでしょうか?
そんな時、沖縄に父が転勤になり、小3の2学期から小6の2学期終わりまでを過ごしました。
沖縄に引っ越しして普通に学校生活に馴染んでいたある日、
帰宅途中の学校の坂道でおっきなおっきな「オレンジ色の光」に体全体が包まれました。
この「オレンジ色の光」は光なんだけど、言葉や心を持っていました。
そして、しゃべり始めました(頭の中で聞く感じというのかな・・・?)
これからの私が死ぬまでに歩む「人生」をこと細かく言葉(テレパシー?的な感じ)
と映像で見させられました。
この光が去って、気づいたら家にいました。
小3の私は何のことだかさっぱりわかりません。
この事をしゃべろうとしても言葉に発せない自分がいるのもわかりました。
周りが理解してくれないだろう。と思われるのが嫌だとかそういう「感情」ではなく・・・
ただ、言いたくなかった。
この事を誰にも言えないまま沖縄での生活が終わりました。
小6の3学期から京都へ転勤。
京都に引っ越ししてからというものたくさんの嫌なことが起こり、夜、一人で泣かない日はありませんでした。
どれだけ苦しくても、辛くても人前では笑っている私。もちろん、家族の前でも。
子供ながらに、誰にも心配してほしくなかったのと、助けてもらいたくないという感情に挟まれ、
正直この時が一番心がしんどかった。。。
この時期に自分の身に起こるすべての事を「受け入れる」ことに慣れさせられた。と今は感じます。
京都に引っ越しして毎日毎日沖縄が恋しくて恋しくて仕方がなかった。
沖縄を去る時、沖縄の神様とある約束をして京都へ来たので、
沖縄に戻ることができる日までは「修行」と割り切りました。
京都への転勤によって「「実感」していくことになるのです。
・・・あの光の中の通りだ。と
つづく・・・
徳島での生活はほとんど記憶に無いので説明できません。。。
今度、徳島に行って、記憶を戻そうとしてるところです。
なので、話が飛びますが・・・
私が、この「視える力」が前面にでてきたのは9才の時です。
私の家族は父、母、お兄ちゃんが2人、お姉ちゃん、妹2人の計8人家族。
この家族の中で、「視える力」を持つのは母とお姉ちゃんと私。
母とお姉ちゃんは「予知能力」がずば抜けていました。
でも、「視えるよ~」とか今まで言われたことがありません。
お互いにお互いの力を共有し合っていた感じというのでしょうか・・・
おかげで言葉で表現することが当時上手くなかった私は兄弟とのコミュニケーションは
「感覚」だったように思います。(この表現しか出てこない・・・)
兄弟みんな年が離れすぎていると理由もあったからかもしれませんが・・・
兄弟同士で悩み相談とかした覚えはありません。
時代が違う。というのでしょうか?
そんな時、沖縄に父が転勤になり、小3の2学期から小6の2学期終わりまでを過ごしました。
沖縄に引っ越しして普通に学校生活に馴染んでいたある日、
帰宅途中の学校の坂道でおっきなおっきな「オレンジ色の光」に体全体が包まれました。
この「オレンジ色の光」は光なんだけど、言葉や心を持っていました。
そして、しゃべり始めました(頭の中で聞く感じというのかな・・・?)
これからの私が死ぬまでに歩む「人生」をこと細かく言葉(テレパシー?的な感じ)
と映像で見させられました。
この光が去って、気づいたら家にいました。
小3の私は何のことだかさっぱりわかりません。
この事をしゃべろうとしても言葉に発せない自分がいるのもわかりました。
周りが理解してくれないだろう。と思われるのが嫌だとかそういう「感情」ではなく・・・
ただ、言いたくなかった。
この事を誰にも言えないまま沖縄での生活が終わりました。
小6の3学期から京都へ転勤。
京都に引っ越ししてからというものたくさんの嫌なことが起こり、夜、一人で泣かない日はありませんでした。
どれだけ苦しくても、辛くても人前では笑っている私。もちろん、家族の前でも。
子供ながらに、誰にも心配してほしくなかったのと、助けてもらいたくないという感情に挟まれ、
正直この時が一番心がしんどかった。。。
この時期に自分の身に起こるすべての事を「受け入れる」ことに慣れさせられた。と今は感じます。
京都に引っ越しして毎日毎日沖縄が恋しくて恋しくて仕方がなかった。
沖縄を去る時、沖縄の神様とある約束をして京都へ来たので、
沖縄に戻ることができる日までは「修行」と割り切りました。
京都への転勤によって「「実感」していくことになるのです。
・・・あの光の中の通りだ。と
つづく・・・

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Posted by sharan7 at 14:22│Comments(0)
│生い立ちシリーズ
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